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INFO:
1977年1月25日にリリースしたデビュー・シングル アマチュア時代の1975年、「全国フォーク音楽祭」の地区予選で歌われた曲[1]。松山千春は、そこで札幌テレビ放送(STV)の竹田健二ディレクターと出会い、デビューのきっかけを掴んだ。A・B面ともに、1977年6月に発売されたデビュー・アルバム『君のために作った歌』に収録された。 17歳の高校生の時に作った曲と言われている 5歳離れたお姉さんの影響を受けてフォークソングを知った。 (松山さんが42歳の時にガンで亡くなられた) ✳️以下自伝より 姉貴が死ぬとは思わなかったね それは全然、思わなかったですね あいつが”フォークソングというのを俺に教えてくれた”わけだ シートみたいの持ってきて聞かせる訳ですよ 俺、それまでね 舟木一夫さんとか橋幸夫さんの歌ばっかりだからね 千春「姉貴、これなんだべ?」 姉「これフォークソングっていうんだよ」 千春「いいなぁ、これ」 姉「お前好きかい、こういうの?」 千春「なんか、いいなぁ」 お姉「じゃあ、もっと一杯借りてきてやるから」 それで、いっぱい聞かされましたもんね。 それが…(しばらく沈黙が続きます) 正直言って(姉)あいつがフォークシンガーなりたかったんじゃないかな。 それが、どういう訳か弟の代でフォークシンガーなっちゃったりなんかしちゃったけど。